文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

メアリーの総て

「メアリーの総て」をエル・ファニング目当てで見ました。うつくしかったです。

エル・ファニングは「パーティで女の子に話しかけるには」を観て以来のファンです。モトーラなんとかぐらい、わたしの有象無象の中でくっきりと顔立ちを覚えています。そんくらい特別です。

このメアリーとはメアリー・シェリーのこと。「フランケンシュタイン」というお話の生みの親です。

フランケンシュタイン博士は死体を集めて理想の人間をつくりました。が本当に死体に息が吹き込まれて、彼が博士に触れると博士は怖がって逃げてしまいます。そして不細工が故に怪物である彼は後になんやかんやでフランケンシュタインを殺すんですけど……

ウィキペディアでしか知りませんのでもっと皆さんここら辺は各自調べてください。身から出た錆と同じ意味でフランケンシュタインという言葉は慣用句化しているそうですね。

なぜ、彼女はこんな悲しい教訓を知ることになったのかが描かれているんですね。彼女はすごく聡明で忍耐強い女性でした。本当は文才があるのでそれを以って堂々とくそとみそを論じてやりたいんだろうな!って思うのですが、この映画は1818年頃のイギリスが舞台なのでまず若い女性というだけで芽を摘まれます。

それだけではなく、彼女の夫であるパーシーがね、ものすごくクソバカなんですよ。詩は書けるけど論理が破綻しているな~と自由主義のあたりで思いました。クソバカの相手なんかしてたら能ある自分の爪なんか披露してる場合じゃないんですよね。でもパーシーは最後までシェリー家を路頭に迷わせませんでした。事実は知りませんけど。そこだけすごいなって思いました。

でもクソバカの相手をしたから、フランケンシュタインという傑作が世に生まれたんですよね。

馬鹿の相手をするな、という書籍がよく蔦屋で目に入ります。本当にそうでしょうか。馬鹿とは……狂人ともいいますが、狂人にも狂人なりのストーリーがある訳で、その文脈を読み飛ばしているから大事なことがわからないんじゃないでしょうか。本当に大事なことが本に書いてあるわけないと思っています。

わたしのお母さんくらいまでは、あらゆる価値観に人々が閉じ込められて、その中で忍耐と知性を鍛えてわれわれが生として宿ったと思っています。いらない苦労はするな、というのが多くの彼らの意見ですがわたしは彼らの苦労が羨ましかったりするような、逆にどうでもいいことに悩んで可哀相だと蔑んだりもしています。その中でわたしはどう生きてやりましょうか。とにかく死なないこと。それが一番です

ヒメアノ~ル(閲覧注意)

愛しのアイリーンという映画に衝撃を受けたので、同じ監督の映画を見て見よう~とのことでヒメアノ~ルに行き着きました。演技派世代のV6の森田剛が主演ということから、超絶面白感がプンプンしています。本当はアンチポルノ目当てで蔦屋に行ったのですが、抱き合わせに借りることにしました。

アンチポルノは前衛芸術なので、感想を求められるとこれからその意味を生きるしかないのかな~っていう回答にしかならない。とは言えとてもいい合法麻薬映像美でした。冨手麻妙のおっぱいめちゃきれいだ!

それに対してヒメアノ~ルは、もう現代大衆映画。社会人で譬えると、早稲田辺りを卒業してとんとん拍子に出世コースの軌道に乗っている、そして現に役職についている!って感じの模範的映画ですね。カタルシスもあり、バイオレンスもあり、そんでもって、観客に何かを問いかけている。

わたしはやっぱり作品を筋書きで見てしまう質なので、あんまり演技がどうとかはわからないですけど、そんな狭い視野でも充分に楽しめる映画でした。

この映画は生と殺の観点で見る映画です。濱田岳佐津川愛美のセックスシーンはわりかしどこにでもある普通の恋愛で、だけど観客の心を掴むくらいには二人が演じる人生のほの暗さがとても効いていました。絶頂を迎えそうになる時に挿入されるのは、森田剛の殺人シーン。こちらもまた暗いどころじゃなくどす黒い人生なのですが、どういうわけだか彼の衝動を理解できてしまう。

(ここから修正しました↓)

この映画はラストシーンが鮮烈なんですよね。そこですべてが回収される。ネタバレを言いますと「森田くんそんな人じゃなかったのに」なんですよね。

人間は生まれた時両親がどういう心境かはそれぞれだと思いますけど、それでも母親は陣痛に耐え、その前に父親は社会に揉まれて疲弊しながら母性によりかかるんですよね。生命の誕生の裏にはどんなにチープで陳腐だとしてもドラマがあるんです。二人が出会うまでの。

特にこの森田君は、普通の家だった。お母さんは「麦茶を友達についでくれないかな」ってお願いしたら麦茶を持ってきてくれるようなお母さんだった。一般家庭だった。家の庭には柴犬が繋がれていた。それでもこの映画の中では連続殺人鬼になるんです。

わたしはわたしであることを日々すこしずつ崩して生きているわけなんですね。何年後にはもしかしたら整形してたり、強姦されたり、子ども産んだり、虐待したり、親を殺したり、ストーカーしたり、したくないけどそういう可能性はなにしても摘み取ることはできません。

安定した職についたところで、なにものかになれているとあなたはほんとうに思いますか。殺人や犯罪に関して、そんなことするやつは馬鹿だねって高校時代のクラスメイトが言ってましたがそういう感性こそ愚直だな~と思うのです。こういう女の子が不倫でずぶずぶ破滅するんでしょうか。なんて考えることもまた愚直です。

わたしは……人殺しについての所感を持てません。殺されたら悲しい人が、両親かわたしぐらいしかいないから。ただ、人を殺すことに至ったその文脈は常に読んでいきたいと思う。その事件が及ぼした影響も、読んでいきたい。あなたはわたしだからね……

 

元町ロックンロールスウィンドル #11

きっとすぐリンク切れになるので動画は貼らない。松永天馬がいつか出るからという理由で、元町ロックンロールスウィンドルを毎週見ている。

いつも爆発が起きないのが居心地がいいのかな。でもたまに意表をつくくらい感動することがある。その感動は、普遍的なものではなくわたしにしかわからないものなのだ。だって、前働いていた会社の上司に似てる人が出てその回に限ってカタルシスを得る。

松永天馬が出ているだけでテンション上がるからまあカタルシス的所感はないだろうと踏んでいたけど、でもまた裏切られるものですね。結局パンクを否定したんだなっていう。あんなにパンク愛に満ちた連ドラなのに。

松永天馬は鬼畜系パンクバンドをやっててカリスマだったけど、今中学校教師をしている設定。そしてめちゃくちゃかっこいい先生。模範的な。

こんなプロフィールを見ているとわたしの唯一の高校の友達を連想します。あんなに高校大っ嫌いだったのに、高校のチャイムと全く同じチャイムを採用している職場で彼女は働いています。やはり彼女にもパンクが眠っていて、そのパンクを突き詰めた結果規律を守ることに意味を見出していると気が付いたのでしょう。

恐らく松永天馬演じる豊もそんな感じ。あまりに美意識のハードルが高すぎるから世の中が気持ち悪く見えている。しかしそれも過去の話で、現在はその美意識を次世代にゆだねる仕事をしています。

でもこれでよかったのか? と考えるところがパンクですよね。一度決めたこととは言え、二項対立で揺らぐ。悩むところに人間の美があると思います。結局、彼は教師に戻ります。あら、このバッファローハンティング他面子はマツモトクラブの回の使い回しでは? あんときクソだったけどいい人だったんだね!

決断したあと後戻りすることほどかっこ悪いことはないけど、でもしちゃうよね。最近彼氏と別れたことをわたしは連想した。別れたあとに立て続けに元彼が苦労することになったのを知ってしまったためこの場合何もできなかったが。

破壊の先には何があるんだろう、みたいな台詞があってそこに注目してみたらやっぱり次が芽吹くんですね。結構反芻しないと気づかなかった。その芽というのは、自身のアンチテーゼでありリスペクトであり。これを発見して、豊はバンドを辞めるんですね。

すごいな。やっぱりプロの作品は我々を先取りしている。

そういえば、松永天馬胸毛なくなったけど女性ホルモン増えたのかな。

right about now the funk soul brother, check it out now

先日お金がないくせに椎名林檎の新盤を買いました。

椎名林檎のファンだった元友人の話にも、今回の椎名林檎の歌詞にもよく出てくるのが、「本物偽物論」。椎名林檎と言えば「ロックかロックじゃないかって言ってるアンタが一番ロックじゃねえんだよ」という名言ですね。

ていうかこれ本当に椎名林檎が言ったんですか。ソースどこ。っていう疑問は拭えないですけど、やはり今回の音源はどれもゴージャスできらきらしていて毛皮みたいな作品だなって思いました。

確かにその道について本物か偽物かを議論しているうちは、そんな輩がその道で本物になれるわけがないんですよね。だって、作ってみろ。作品を。その上で見えてくるものが本物だと思うし、まだ見ぬ色については誰も語ることはできないでしょう。

とは言え、たまに評論家という役割が作家に大きな影響を与えることもあって。それというのは作家の無意識を理論化できた時だと思うんですよね。作家は自分の無意識に気づくことによって、次の作品が今作を越えなければならないと思うようになる。評論家は常に冷静に客観的に作家の息を止めにかかればならない。そんな役割、わたしはまっぴらごめんですけどね。

だから、評論家は作家を超えることは永遠にないと思う。そして作家は永遠に自分を発掘できないのが理想だと思う。

最近、ふと思うのがマツコさんと有吉さんが失速するのではないか。という不安である。彼らの最大の武器は口が達者であること、時代の文脈をうまく読みこなしていることである。それがあだとなり、自分の居場所がどんどん縮まっているのではないか。

自分の居場所がないってことは、生活感を失うということである。それは、枯れるということ。孤独は確かに誰もが持っている宝物であり、この状況を孤独をこじらせたなんて言葉で形容してはならない。孤立しているんだ。

そこで思うのが、「ロックであるとかないとか言ってるお前が一番ロックじゃねえんだよ」である。その精神に鍵があると思う。偽物の中に、孤独の中に、ノイズの中に、嘘の中に、たったひとつの意味を見出せ。それはお前以外誰にもわからなくていい。そういうものだから。

あとは、有名人が道を歩いていたら、塞ぐな。素知らぬ顔して道を譲れ。そのミーハー精神に恥を知れ。

世界は糞とゴミと屑でできている

さんまさん、虐待パパ、フェミニストインフルエンサー
かわいそうだから愛をあげる

さんまさん、虐待パパ、フェミニストインフルエンサー
実はみんなわたしよりかしこい

バスターミナルでは隣のババアが割り込みする。
汚いジジイはわたしで抜く、向かいのベンチでバカップルが対面座位
かわいそうなのは誰なんだろう、救いたいのは誰だろう、
そもそもわたしなんかの愛で世界は生まれ変わるかな

正社員、地下アイドル、東京オリンピック安倍晋三
ふざけんなぶちこわしてやる

正社員、地下アイドル、東京オリンピック安倍晋三
を思えば思うほど自分がきえる

わたしに人権を与えなかったあの男はピクシブで働いていて
わたしの悪口で賢くなったあの娘はミスiDになった
うらやましいのは誰なんだろう、暗殺すべきは誰だろう、
そもそもわたしなんかの呪いで世界は滅亡するのかな

これまで何度も失敗してきた、でも非凡にも平凡にもなれなくて
あと何回生まれ変わればいいのかなあ、もう来世はなくていいや

来世の可能性の閉ざし方わからず、まず倫理観に背こうと思った
例えば隣でテレビ見てる母親、ベランダから突き落とすとか。
こんなこと考える時点で来世が確定するようなものだった

来世がなくなるように生きる。それは「しあわせになる」こと。
それ一択しかないのではないか。とわたしは思い至った

惜しまれつつ人生を終え、天国で待ってるとか言って
息を引き取るけど天国はない。これが終焉。
業あるもののみ輪廻がある。本気でそう思った

なれない煙草をふかして安いバーで飲んでいると
よくわからない男がからんでくるものだった
そういう人種の去勢を願っていたが
今日は自分が性欲にほだされることになった

特別すてきな男性ではない。わたしがきれいとかじゃない
どちらもなにものにもなれないことに最近気づいたようだ
死んでしまえよのなか、と言い共同作業した結果
妊娠してしまった

誰にも内情を言えず、既成事実を作り上げる日々。
一世一代の大演技を親の前でして、友人の前でして
結婚式もなんとか終えて、生まれた赤ちゃんは死んだけど
悲しいとか思えるまで辿り着けたことが嬉しかった

不幸と不幸の間にある、しがない幸せのにおいは忘れがち
思えば配偶者の浮気なんてどうでもよかったし
お義母さんのいじわるもいまならかわいいと思える

おたふく風邪にかかり、いともたやすく今日が峠
残業している旦那が連絡に気づく前に死んでしまいそう

さんまさん、虐待パパ、フェミニストインフルエンサー
みんなそれなりにかわいそうできたなくて
みんなそれなりに正しいのはわかるけどさようなら

相変わらずバスターミナルでは隣のババアが割り込みする。
汚いジジイはわたしの周りをうろつき、
あのカップルはどうしているだろう

正社員、地下アイドル、東京オリンピック安倍晋三
ピクシブの男もミスⅰDの女も
みんな知らない間にどうでもよくなっちゃった

風邪で遠のく意識の中でぐるぐる考える……。
わたしが変えたかった世界がどんなに大きかったか。
あっさり死ぬの女の野望ではなかった

風邪で遠のく意識の中でぐるぐる考える……。
わたしの来世。
明日があるならほしい。
あの人のこれからのごはん、どうするんだろう
せめて明日はチキン南蛮を食わせてやりたい……

あ、もう無理そう
わたしの人生がB5サイズ5枚で終わる。
よのなかはくそだった、生命の誕生もあまり意味がない
くそみたいなゲーム。むくわれない運命。それでも。

「――――ご臨終です」

20190523

たまには嘘をついてみようと思う。

今日の夢は「母親が実は浜田雅功との隠し子がいたことを突然告白する。その隠し子は女装したロン毛の男で、顔はわからないが風貌はZAZYそのもの。ある日部屋をZAZYと一緒に掃除していたところ、背面位で犯される。その光景を実の父親に見られてしまう」といったなかなか衝撃的なものだった。

昨日の夢は「ふと部屋の窓を見ると、巨大なイモリが網戸に貼りついていて、ついつい叫び声を出してしまうと椅子からずり落ち、だらけた足元を父親が引っ張って部屋の外に避難させる」夢であった。

ここ最近見た夢で一番感動したのは「パスポートを偽造して入った部屋の中全体が洗濯機構造になっていて、人々は水の中に溶け込む。散らかした衣類とともに世界がぐるぐる回る。隣には美少年がいるが、触れてしまったら夢が終わるとなんとなく気づいている。そんな中人々は学習したり、作業したりつつがなく日々を過ごす。最終的に美少年と私は二人で逃避行し、鯉になって池に飛び込む」

この数年でよく夢に出没するのはお笑いコンビ三四郎である。どれだけ私が三四郎のことをヲチしていたかがバレる。今著しく安定してきているのでもう特に関心はない。

誰かのために書く文章はない

四月の終わりにいいアイデアを得たので小説を一本書き上げた。原稿用紙50枚分くらい。そのアイデアは私が思いつくには上等すぎるもので、しかも鮮度が短い。

文才がアイデアに追い付いていないのは充分に自覚しているが短編の賞に出すことに。色々な賞があるけれど文藝春秋主催の賞を選んだ。

そこで目出度い妄想と今闘っているわけだが、受賞云々はともかくとしてこれから作家を目指す目指さないについてくらいは白黒はっきりさせておかねばならない。そんなことをゴールデンウイーク中からずっと考えていた。カウンセリングでもその話題ばかりだったと思う。

カウンセラーは「小説家ってものは早熟な人ほど苦労する」と言う。この言葉を贈られた以上、私がこの程度の作品で日の目を見ることはないんだろうな~と感じた。長年カウンセリングしていると先生の言葉選びのセンスもわかってくる。これはクランケとしての勘だ。

どんなに信頼を置いている人からであっても、アドバイスで自分は変わらない。デスクワークがだめだった私が働くには、ひとりで書くことが一番割が良いのでは?と思わないこともないのだけど、割が良いなんてことはありえない話だ。

ジミー大西はギャラから絵を描く材料費を引いて、製作期間を時給に換算するとワンコイン程度しかないことに気づいて筆を折ったという。これは小説家も同じようなもので、一発当てたとしてもその後の期待に応えられない不甲斐なさ、目まぐるしく変わる周囲の評判と顔色などを経験することを考えると、文字を綴ることで感性は枯れてしまう。ワンコインの収入があるジミー大西のような人物は稀だろう。

それでも自分の文字でお金を稼ぎたい、というよりは世に出たいという気持ちがある。恥を忍んで書くが、とあるミュージシャンとファンとしてじゃなくていち人間として会話したいという気持ちが昔からある。そういう権利を獲得するために巷では刃物を懐にしのばせたり「ファンやめます」なんて嘘ついたりするんだろうけど、私はそういうことをするより自分がミュージシャンと同じような位置に辿りつくことで獲得しようと思っていた。

映画監督とか、画家とか、いろいろ目指していた。小説家だったらビジネスの話はうまくいかないかもしれないけどそれでいい。でも別にそういうのを目指して私はこの小説を書いたわけではない。さらに言えば、そのミュージシャンは10年前から応援しているけれどその人が私にとって信頼できる人であるかどうかは別だ。もしかしたら私が送った手紙を笑いながら破り捨てている可能性を否定することはできない。

そりゃ、他の普通のファンだったらちゃんと読んで捨てているだろう。私の文章に関して、気持ち悪いと思っているんだったらさっさとそのお気持ちを表明してほしい。早いところ言及を撤退する。あと会ったところで毒にも薬にもならなかったら何のためにがんばってきたのだろうと後悔する自信がある。行動すれば期待はつきものだ。

長くなってしまったが、総括すれば「誰のためにも私は書きたくない」。私の感性は私にしか感動させることができないだろう。読者の存在などといった他の可能性を含めた書き方をしていない時点で、商業作家としての才能がない。お金のことを考えて創作なんてできるかよ。