文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

切る縁と切らない縁

お盆の時、見苦しいほど精神衛生悪かったんです。嫌いな人のツイートをわざわざ見ておかないと自分が自分を許せないみたいな状態ってわかりますかね。臭い靴下を臭いと感じる嗅覚が、もとい感性が果たして正しいのかを何度も確認したかったんじゃないでしょうか

結果そういう人たちを片っ端からさよならしないと落ち着けませんでした。あの頃はブロックした人たちに対して「わたしがブロックした意味を理解しろ」という生霊を飛ばしていたような気がしますが今は「どうぞそのままでお過ごしください」とか「気が向いたらお変わりください」とか思いますよ、つまりどうだっていいです

そういった人たちと縁を切っていく一方で無性にわたしは寂しがり屋になりました。彼氏がいながら、手厚い親の愛がありながら、それ以外の他人に承認されたい気持ちが爆発的に強くなりました。そういう訳で友達とよべる人に片っ端から連絡を取っていました

ある人は私の現状を肯定するがごとく共感してくれたりある人は逆に否定するがごとく「友人は一時の幻想」論を私に啓蒙してくれたり、どちらもありがたいと思いました。どちらも必要だったと思います。友達はいらないみたいな思想は今まで私のなかにありませんでしたし。

でも言わせていただくなら、一時の幻想だからこそ利用しておきたかったかなって思います、幻を見れないなら現実がわからないような気がしたんですよね。でも当時何にも考えずにただ寂しさのまま突っ走った気がします

切る縁と切らない縁。この境界がよくわからずに何度もツイッターのアカウントを消したり作ったりしていました。好きか嫌いかで判断するのは違うと思います。切った縁の人が皆嫌いかって言ったらそうでもないですし、切らないでいる縁の中にも多少この人は結構私の中で評価低いなって人はいます

ただ切った縁に関しては過去なんだ、切らない縁に関しては現状なんだと思います。少なくとも切らない縁に関してはその中に未来を見ようとは思えません。来年も仲良くしようね、って脅迫ですから。どうか皆さまお気に召すままに生きてほしいですし、この言葉も脅迫じみていて、だからつまり何もいいたくありません

私はツイッターなんかより日記に興じています。ツイッターは本当につまらなくなりました。人の言葉を見るのは楽しいですけどね。