文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

吉岡里帆について

吉岡里帆さえいなければ「音量を上げろタコ」は観るはずだった。そんなことをツイッターでわざわざ表明してはいけない。でもツイッターでしか表明する場がない。

吉岡里帆は美人だ。事務所の力も強い。挫折もしたことがあるらしい。その要素全てがどうして私にとってマイナスへ動いてしまうのだろうか。

吉岡里帆から離れたい時に限って、運悪く吉岡里帆がテレビに映る。吉岡里帆から距離を置いてじっくり吉岡里帆について考えたい時に、吉岡里帆が「にょっ」と現れるのだ。その間の悪さに腹が立ってしかたがない。

きっと一人にしてほしい時に限ってやたら話しかけてくるタイプの人間だというステレオタイプがこびりついて剥がれない。

ツイッターなんかで「声高々に」そのくせ「言葉は少なく」語ってしまうものなら、わたしが炎上してしまうだろう。だからはてなブログに落ち着く。

音量を上げろタコ、ざざっと予告編をツイッターの動画で音声無で見た感じ吉岡里帆の個性が存分に発揮されていて、とても観る気になれない。

吉岡里帆のなにがそこまで嫌なのか、解った。「役柄上モサい女に扮しておきながら、まごうことなく美人」だからである。モサさが残っていない。故に愛着が持てない。

自分はこの文章が吉岡里帆に影響しないことを切に願う。