文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

芽をむしる

かねてからフォローしているお笑いクラスタの人がいる。(※題名の人ではない)

なんかもう一時期は信仰していた。よくアルファツイッタラーを揶揄していて、それも理路整然としていてその人の道徳が模範だと思っていた。

その人が質問箱を使っているのでたまに質問を投げてみる。就活の件について3つ質問したけど、最後の質問はいつまで経っても返事がない。かれこれ3日経っているけど返事はない。別に返事を求める内容ではないにしろ、なんとなく気づいていたけど、また一つ自分の好きなものを失ったんじゃないのか。(後日返答あり。ありがとうございます血涙)

そもそも、なぜお笑いクラスタの人に就活の質問をするのか。松本人志がワイドショーをやるくらい不健康なことである。

好きなものを好きなままでいるためには、努力し続けなければいけない。と同時に対象に触れるのを歯を食いしばって我慢し続けなければならない。

でも、必死で好きなものを掴みかかっちゃうんだよなあ。

自分自身、若くてきたない。それは世間では「尖っている」と呼ぶ。尖っていると生き難いというのは、面白いと感じたものに対する信仰心が育ちにくいからだろう。最近、そんな信仰心が浮かんではその芽を摘まれ、浮かんでは摘まれ、繰り返している。

昔好きだった奴に「信仰の強さがキモい」とストレートに殴られたことがある。普通、こんなに平伏すことはないのかいな。そこは自覚せねばいかん。

その人のツイートひとつひとつ全部面白いわけではないから、そのお笑いクラスタの人は自分にとっては信仰するに値しないのだという結論に至るとして。その結論が一番みんなが幸福になることは知っているけど、一番大事なことを忘れている。面白いものを失っている。その人の言葉を信頼することはできないけど、その人の言葉に共鳴する自分の感性だけは一番自分がよくわかっている。

・・・そのアカウントをツイッターのリストから外すことでさっぱりできたらいいのに

そんな昼休み。その後には仕事が待っているのだが、職場には好ましい兄ちゃんがいていつも好きになるかならないか自分の中で戦争している。結局はこの関係性は触れたところで旨味が終了してしまうことは目に見えている。

それに、職場の兄ちゃんがわたしに好意がある見込みはない。好意に関してはないわけではなさそうだけど(いち同僚としては尊重してくれているとは思う)そこに性的衝動の混入を疑う感性はキモいんですよね。まず「この関係性は触れたところで旨味が終了してしまう」くらいまでシミュレーションして予測している件もキモいですけど。

でも、業が深いことに(わたしの前世は童貞だったのかな?)ふらふら~と職場の兄ちゃんが私を好きだったらどういう展開になるのか、なんて筆が進んでしまう。こんなこともうn回目。ピリついた世界に恋愛を持ち込んでカオスにするのはもう常套手段なんですよわたしの。そこがわたしの精神疾患たる所以。手帳持ってるからみんな配慮してくれ!

(大学の部活の面々はみんなツイッターでオタクというか弱者ぶっているけど、こういう時になるとわたしみたいな精神疾患を迫害しがちで、すごく人間性の差を感じました。結局許してくれるというか配慮をいただけたの一部の先輩と後輩、そして同期だよ・・・結構いた)

n回目だからなにもしないでいることができるけど。自分で自分の芽を摘むことができるけど。配慮してくれとか言わないで今の所済んでいるけど。

でも今日は危なかった。めちゃくちゃ職場のお兄さんに目が行ってしまう。だめだなあ・・・結婚しそうな彼氏がいるのに。でもいつかこんな昂ぶり、そんなの最初からなかったかのように忘れる。絶対忘れる。脳内のこのノイズ、誰にも聞かれないように私が伝えないようにひたすら感情とかいう芽を毟っていく。

そういう訳でわたしは信仰しているくらい好きであろう人には何もできないのである。

関係なくなってしまったけど、「俺だって日藝中退したかった」超面白いです。説明と描写が好みの比率です。