文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

くずは一瞬輝くためにくすぶる

屑は一瞬光る。

この言葉を「家、ついて行っていいですか?」が単発でやってた時に目にした。自称・くずなお兄さんの人生はテレビで一瞬観たきりで二度とお目にかかることはないだろうが、その言葉だけが確かに光った。その残像はいつまで経っても忘れることがない。シャンプーが目に入ってイライラする時も、カーテンを閉める時も、卒業した大学の構内で一息ついている時も、頻繁ではないけれどふと我を失う時にその言葉を思う。

今わたしは屑をやれそうな気がする。あなたにとってわたしは屑に違いない。あなたはあなたを大事にするべきであり、わたしはあなたの為にできることがない。

わたしの神様は「日記は客観につとめよ。心的世界の描写は好ましくない」と言っていた。でもわたしに言わせれば客観的な世界の方が魑魅魍魎だ。だからわたしが脳内で制作した番組を放送するのであります。

わたしはあなたにとって屑でしかない。話しかけたり何かしたらささくれ立つし、関心を持たないならばわたしもあなたもなかったことになる。でもわたしはあなたにとってわたしという人がいたな~と思わせたい。その為に屑をやるのだがわたしは何かをするという点で屑なのであり、何かするのが駄目な原因であり、「光るために屑をやる」と言ってしまう所が駄目なのだ。

でも屑は光るためにくすぶるのであって、それまでずっとわたしは駄目なままだ。例えば一週間もしないうちに五万円を使い切る。二万五千円分は後悔している。それをインターネットに垂れ流す。駄目としか言いようがない。お祖父ちゃんが亡くなるまでずっとお祖父ちゃんの前で屑にしかなれなかったとしても、一瞬の光はまだそのタイミングじゃないんだろう。

このようにわたしは屑だけど、あなたもそれなりに屑であり、無自覚のうちにお互い折り合いをつけている。一番頓珍漢なのは言葉だ。言葉にした瞬間わかっていたものがわからなくなってしまう。意識と無意識がシナプスで連絡して承知したり了解したりしていたのに、言語化した途端には意識も無意識も統括する自我が揺らぐ。許せなくなったり誤解したりしてしまう。

わたしが屑なのはそんな言葉で自我を統括して世界を征服しようとしているからだ。いつだって言語化されるまでの事象は起こらない。言葉は理想そのもので、世界が理想になることはない。理想を捻じ曲げて社会性に近づけたって別に構わないけどどうやってもわたしは言葉でできた屑でしかないのかもしれない。まだ若いから、なんにだってなれるけど、どうせ光るのなら徹底的に屑をやりたい。理想ばかり語って小便臭いブログしか量産できないけど、いつかこれが光るんですよ。あのお兄さんみたいに。

話は変わってレティクル座の妄想を聴いた。どいつもこいつも屑であったが憧れる方面に感化しちゃいそうな光り方であった。わたしの周りの歌人界隈は駄目であることをしかたないと思うことから歌的衝動が始まるらしく、わたしはそれをなんでかゆるすことができなかったけれど、大槻ケンヂを見るとこれを目指す気持ちがわかってしまった。最新アルバムも見劣りしないくらいかっこよくて、むしろ後者のほうが聡い発見を感じた。つまり大槻ケンヂは光っている。現在進行形で。

歌詞みたらわかるんですけど、大槻ケンヂはピーヒョロピーヒョロずっと笛で乾いた音を奏でているんですよ。理想とは鏡というか認知であって、都合よく捏造できるし同じ像が結ばれることがないから鏡なのだけど、鏡を割らなきゃいけないんですかね。ずっと割っていく、のか。そしたら破片からキラキラ光ってあなたはわたしを認知するでしょうけど。でも、鏡を割るのはあなたのほうでしょ?