文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

関心がない

熱々の親子丼を食べて、いい感じに腔内がやけどしている。いい感じとは言ったけど、テンションが低い。冷や飯じゃないと食べた気にならない。炊き立てのご飯は冷蔵庫で冷やしてから出直して欲しいけど作っているのはわたしじゃないので何も言えない。指図したらわたしがやることになる。できもしないことを引き受ける訳にはいかない。

脱毛サロンがキャンペーンをやっているので、あんまり下調べもせずに無料カウンセリングをした。結局は総額で40万払わなければならないのは納得できる。分割しても、一番現実的な方法では月に二万ぐらいは払わないとつるつるの恩恵を得られないらしい。納得。脱毛というのは贅沢品で、やはりお嬢様のやることなのだろう。

それでも腑に落ちない。広告のやり方が下品。キャンペーンの内容がアクセス可能だっただろうか。何でも広告の後には「まずは無料カウンセリングを受けてください」と記載しておいて、まあそんな虫のいい話はないですよね!という話をするのは不毛だろう。だから脱毛サロンもちゃんと救済策を講じていて、「ワキだけなら~円です」という商売をする。わたしはワキだけ脱毛することにした。

そういえばわたしは自分以外のもの全てに関心がない。ちゃんと調べようとしない。理解しようとしない。なんとなく「こうかな~」と予想をつけて、それ以外の情報がないから、その予想がいつの間にか偏見になる。たまに自分の所見を語る機会に出くわすと、それはあまりに曲解していると指摘されるのがしばしば。運が良いことに、事故に遭わない。誹謗中傷で人を殺したことはないと思う。その前に、自分が間違っていることを指摘されるか自覚するか、相手にならないくらい意味不明なことを言っているかだ。

恥ずかしいことばっかりだ。自分の世界で完結しがちだと、いざ人と会話した時その度に傷ついてしまう。自分が生きているのが奇跡すぎて、今後も奇跡を更新していくと思うと気が遠くなってしまう。

他の人はどうなのか気になってしまう。饒舌さで頭がパンクしそうなことがあるのか、人の話を聞くと不思議がいっぱい出てきて質問が出てくるものなのか、そもそもこんなに人と会いたいのはわたしが仕事をしていないからなのではとか、人によって聞いちゃいけないことがあるがそれは永遠に踏み込まなくていいものなのか、とか。

人に会いたいのは切実で、絶対伝わる自信がある。でもその代わり付き合ってもらったからには話を聞かないといけない。そうなると、わたしは口数が減る。何を聞いていいのかわからない。気になることはいつも、多分その人が訊かれたくないことだから。だからわたしは自分の話しかしない。本当はこれ以上話したら自分で傷つくことになるとしても自分の話しかできない。それの何が悪いかわからない。

できないことはやらない。それが最低限の誠意だ。わたしは人の話を聞くことが出来ない。出来るとしたら、わたしが話すことがなくなって、何もすることがないからあなたはどうなんですか?くらいだ。話したいことがあるなら、あなたが誘ってください。話したいことがあるという名目がわたしに伝われば、わたしは話を聞くことをがんばれそうです。その代わり、話をすることに徹してください。覚悟をきめて、わたしが話を脱線させていくのを、鬼になって間引きしてください。

わたしはがんばろうと思ってはみますが、結局むくわれないことのために時間を割く位には馬鹿じゃない。政治のこととか、まったく興味がないので、でも感情的になるくらいわたしを刺激するトピックなので、知識がないなりにうるせえと騒ぎますけど、そこで馬鹿だなあと思われても、わたしの本質はそこじゃないんで、直しません。

文芸に携わるためには、歴史を踏まえた自分なりの回答を核として持っておく必要があります。しかし自分にとっておもしろくないものには腹が立ってしかたないし、それ以外の理由で物語を愛することができるわけがないので、わたしは文芸に携わることはもう諦めます。たとえわたしがいいものを持っていたとしても、わたしのよさというのは文字で有名になるためのものではないんでしょう。せいぜい同人誌が完成して万々歳くらいでしょう。わたしは現実とか結果に迎合する主義なので、多分うまくいきます。

あなたがもし理想や夢を愛するのなら、素敵なことですから、わたしは邪魔したくありません。今後あなたの足を引っ張らないようにすることがわたしの務めです。

わたしは柴田聡子という女の人が好き。彼女の「結婚しました」というPVを見て、わたしが頑張らなくても、この人がわたしの作りたい世界を実現してくれるんだと一目でわかった。以来、毎日のように聴いている。この人の曲はいつ聴いてもしっくりくる。たまに心が荒れすぎてて聴けないときもあるけれど、この人だけはわたしの心の中のさざなみを邪魔せずそのままに、そこにふさわしい音を流してくれる。

彼女のライブがYouTubeで配信されて、二回見たが、わたしが10年後くらいに言いたいことのようなことをすでに作品にして、生き甲斐を失いかけた。別にわたしは歌手になりたいわけでもないので明るく前向きでいられる。でも詩人とか物書きになることは、柴田聡子さんという存在を知った限り、なにをしてもつまらないだろうなと思う。別に柴田聡子さんみたいなことやってるわけじゃないけど、やりたいことはあんな感じで、わたしは柴田聡子さんみたいに誠実でも聡明でもない。

こんな風に誠実にやれることをやって私の心を打つ人がこの世にいることを知り、わたしは情熱はあればあるほど馬鹿をみるものだということを悟った。自分がいかにちっぽけな存在であるかは、人と会話することじゃなくったっていくらでも突き付けられるものですが、会話することには+アルファでの効果があると思う。

わたしは人と会話がしたいです。でも今は憚られるから、こうしてブログにしています。関心を持てないけど、話をするとか、話を聞くとか、会話ってそれだけのことではないんじゃないか?ってわたしは思うの!